10/4【仕事を頼みたい生徒】

生徒が成長する姿をイメージする時、「仕事を頼めるようになるかどうか」という視点が私の中にはあります。ピアノといっても色々な仕事がありますが、例えば「いい若手の伴奏者いない?」「知り合いの娘さんがピアノを習いたいって」「トークコンサートをやれる若いピアニスト」「初歩からソルフェージュを丁寧に教えてくれる先生」「少し編曲できて幅広いジャンルを弾ける子を探している」など、もし頼まれた時に引き受けられるか、その子のキャラクターも含めて、イメージしてみます。教えはじめてまもなくの頃の生徒たちが育ってきて、時々仕事をお願いするようになってきました。1人でも多くの生徒が自立して音楽の仕事に携わる、目標であり目指している場所です。

10/5【ベートーヴェンの空間分割】

Beethovenの空間分割、手強いの巻。 32分音符8個分、この感覚の難しさ。ニュアンスの付け具合によって、リズムや拍のプロポーションに直に影響する。他の作曲家でも同様の問題は起こるはずなのに、なぜかBeethovenの時に、ものすごく気になる。ソルフェージュも含め、空間分割の感覚ってとても大切。ここに「きちんとした」感覚がないと、rubatoのニュアンスもうまく創れない。

10/7【譜読みマスターを目指す】

ピアノソロは、常に1人でアンサンブル。必然、音数とインフォメーションの量が多い。全ての音とリズムを正しく、拍を正確に、書かれてある強弱記号や表現記号へ行き届き、それをふさわしいテンポでまとめる・・・このテクニック向上も、相当数の時間がかかる。でもその上があって譜読みスキルの肝は「作品の声を聴く」テクニックなのでは、と最近つくづく感じるのです。譜面に手を置き「どんな世界観?どんな響きを残したかった?」と問うような…  譜面を観察し、作曲家の描く「感情」「景色」「世界観」を内面に聴くスキル。曲を器用にまとめられる人ほど「作品の声を聴く」ことへ、早くから関心を向けられたらな、と思う。あのピアニストは同じ譜面から、どうしてこんな景色が聴こえてくるのだろう、そういうことへ10代の頃から関心が出てくれば、譜面を読むのが断然楽しくなってくると思うのです。

10/9 【小さな変化】

自分を変えていくことは難しい。変化には勇気とエネルギーが要る。最初からうまくいくとは限らないし、定着するには時間がかかるのが常。それでも小さな変革を積み重ねることで、問題点の解決へ糸口になることは多い。変化を怖れず、意見を聞き、調べ、考え、自分の信じる嗅覚の方向へ。

10/17【考えて弾くとは?】

行き届く、工夫がある、作曲家&聴衆へのホスピタリティ、とも言えるだろうか。

10/19【学生コンクール】

東京大会本選高校生の部@サントリーブルーローズ、15人全員の演奏を聴きました。生徒のホールでの本番を聴いたのは数ヶ月ぶり。素晴らしいステージに立たせてもらったことに感謝です。1年生の試験で準備を重ねていたのにうまく行かず、大粒の涙を次から次へと流して、こちらが貰い泣きしてしまう程・・・そんな線の細かった生徒が2年後に、ここへ立てるとは思ってもみませんでした。ここへ連れてきてくれてありがとう。この状況の中でも若い人たちが音楽で語ろうと尽くしている。15人の個性に触れて、気持ちが洗われました。明日から、また頑張ろう!

10/21【レッスンとどう付き合うか】

毎週のレッスンから卒業する日がくる。定期的なレッスン無しで音楽を立ち上げ、探求する情熱のガソリンを自ら注ぐ日はそう遠くない生徒たちの将来。先生に味をつけてもらい、火を付けてもらってやっと仕上がる・・・そういう他力的なレッスンから抜けていく意識。生徒側だけではない。どこまで介入し、どこまで生徒に任せるか、レッスンとの距離やバランスは、私自身も難しいと感じる。熱が入りすぎ、結果的に生徒に圧をかけてしまった痛く苦い経験もある。どこを目指すのか、気をつけていないと見失ってしまう。ゆくゆくは次の先生にお願いする生徒たち。その時に困らないだけのスキルを育てる使命。

10/25【シューベルト】

シューマンに限らず、どの作曲家の作品にも、オイゼビウスとフロレスタンはある。そのテイストの違いが面白い。昨日のシューベルト、哀しみのベールを1枚まとったような「幸せ」の感じ方に切なくなる。そして、人の片隅にある、小さな心の部屋をそっと温めてくれる。こういう「幸せ」の描き方は、シューベルト独特。美しく優しい。

10/26【クリアなメッセンジャー】

楽譜をどう読み解き、相手に伝えるか。演奏者は、楽譜(作品)と聴衆をつなぐ、クリアなメッセンジャーでありたい。「ここにアクセントがあります、ここにフォルテがあります」という説明調にならず、その後ろにあるテイストを感じる。そして聴いている人に「わかる」ように伝える。どれひとつとっても「解釈し切れていない音はない」という境地に至る道への旅は、果てしない。

10/31【インヴェンション講座】

昨日は午前中、チェンバリスト桑形亜樹子先生の「インヴェンション、装飾音講座」へ。7〜10番まで。特に7番をじっくり深掘り。生徒へのインヴェンションレッスンの時は、モチーフ、形式、調性、2声を独立し指使い確認、行ければ和声まで・・・とやること満載で、トリルに関しては「基本上からかける」「経過音の時はその音からでも」程度にしか触れてない現実。なので、装飾音だけじっくり検証を行っていくと、思いもしなかった発見があり(桑形先生の洞察力が毎回凄いのですが・・・)、脳のヘェ〜ヘェ〜ボタン(古い?!)を何度も押したくなる。ハーモニー、モチーフ、縦、横、様々な角度から検証すると、上からかけるのか、その音からかけるのかで、一瞬の意味が違ってくる。フリーデマン版との見比べは、思った以上に面白いです。(というわけで、ご関心がある方はこちら)。講座の往復にごそごそ調べごと。「ハルモニア ムンディ」(宇宙の調和)。天文学や占星術とも繋がる12音の神秘(なんで、いつも12なのだ、星座も音も)。発見したピタゴラスは紀元前500年位、古代ギリシャの人。調べるほどに、現代の私たちの音楽観の方が進んでいるのかどうか疑わしく思えてくる。周波や倍音とも繋がる話で、今、私たちが奏でる「響き」と直結します。そして宇宙全体という壮大な仕組みの中で音楽がある!古代の人の叡智が直に「今」の私たちへ影響を及ぼしてくるのが、クラシック音楽のスゴイところ。

11/1【天命/使命】

それぞれの使命を徹底し、共存できれば、ハーモニー(調和)な世界になるのだろう。それを探す旅を音楽は教えてくれるような気がしている。私たちは地球、宇宙、歴史の一滴。愚かさも豊かさも繰り返してきた。それを作曲家たちは作品を通じて、私たちにメッセージを届けている。既存の「いい学校」「いい評価」だけでない価値観を、若い生徒たちが音楽を通じて、どこかに持っていて欲しいと願う。わかりやすい世界だけに溺れず、わかりにくいこと、目に見えないことへの価値を感じられる人になってほしい。アンテナに引っかかる破片をキャッチし、自分の「使命」がどこにあるのか、そのためには何ができるのか、多感な時期だからこそ考えてほしい、と思うのです。この週末は、シューマン、ショパン、リスト、ブラームス、とロマン派のレッスンが多かったからか、生徒たちと「愛」について考える。ホントいろんな愛の形がある。学問の行き着く先は「なぜ生かされているのか」という問いへ集約されるのかもしれない。正解のない答えの脇に「愛」は欠かせないキーワードのひとつ、と作品たちは教えてくれる。

11/3 【1本の木】

何気ない1本の木。多くの人が通り過ぎるなか、触りにいく人、観察する人、また詩や曲の創作につなげてしまう人もいる。見ているのは同じ木。通り過ぎるのか、立ち停まるのか。

11/4【ダークサイド】

明るい曲、暗い曲、どちらが扱いにくいか生徒たちを見ていると「暗い曲」の方。人のダークサイドを描いている曲になると、中高生にはまだ背けたくなるようなテーマも。でももう曲が求めてきている。向き合わざるを得ない。曲の背景を取材しコミットできた時、演奏のイメージだけでなく、自分の中に心の部屋が生まれるのを、実感できると思う。

11/6【ソナタコンクール審査】

先日オンラインで審査したソナタコンクール・ソナタA部門 単楽章/全楽章コース予選結果が発表になりました。ソナタコンクールA部門 まだ5回目の新しいコンクールですが、私の生徒も度々お世話になっています。マスタークラスがあるなど、手厚いフォローがあります。A部門はモーツァルト・ハイドン・ベートーヴェンの指定されたソナタから1曲が課題曲。若いうちから古典のソナタに集中して取り組む意義を感じながら、審査しました。言葉や形式へ興味を持つきっかけにもなると思います。審査していて一番気になったのはアーティキュレーションでしょうか。多くの人の演奏で「薄く」感じました。もっと発音を細かく意識して捉えられると、弦の弓の動き(アップ/ダウン)、声楽の歌詞をしゃべるような、または管楽器のタンギングのような感覚が出てくると思います。この感覚は本当に難しい。私は日本でそこそこ勉強した気で(今思えばお気楽!)ドイツへ行ったのですが、このアーティキュレーションに関して、こてんぱんと言っていい程指摘され凹みました。楽譜に書いてある1個でも気分で通り過ぎようものならば「そこのアーティキュレーションはどうした?」「そんな風に書いてない」と絞られる。マスタークラスへ行っても、どの先生もアーティキュレーションに厳しかったです。今回は、希望する参加者にオンラインでアドヴァイスする企画があり、私もジュニアの参加者の方へ、アドヴァイスさせていただくことになっています。

11/10【はみ出す】

音楽のルールを守る、交通整理をする、まとめる。これらは大切なことだと思うし、コンクールや受験などジャッジが伴うものであれば、隙なく演奏する完成度の高さの必然も、わかっている。でも敢えて最近思うこと。それらは行き過ぎれば、「余白」「遊び」「野性味」「本能」を軽減させてしまう気もする。「はみ出すこと」への恐怖心は、面白さやユニークさのアンテナを引っ込めてしまいかねない。生徒だけではなく、自分も然り。型にはめることの大切さ、そこを抜けていく自由さ。時にはきちんとしないで、振り切って、はみ出してみて、それで失敗しても、自分も周りも許容する環境も大事かもしれない。そういう失敗の方が、もしかしたら2年後にとんでもなく大きく化ける可能性が秘められているのかもしれないのだ。「誰がなんと言おうと、今、こう感じていることを出したかったの!」そんな、いい意味でのわがままさを出せる、それを受け止められるキャパシティ、持っていたい。

11/12  【ピアノ用の身体】

小学校高学年〜高校生の頃に、ぐっと体が変化する。それに伴って弾き方を調整する必要性を、痛感している。特に「肩」「腕」の力(りき)みの感覚を、どう緩ませていくかは大きな課題。私自身、肩が上がる癖に若い頃から苦労してきた。未だに録画してチェックしないと無意識に力(りき)む。まだ扱う声部も要素もそれほど多くない時は、影響を感じにくいかもしれない。でも曲が複雑になってきたときに、不必要に固くなっている部分が多いと、動き、そして何より音色へ影響する。いわゆる「脱力」だけど、この世界の何と深いこと。大野先生のメソッドへ行くようになってから、益々考えるようになった。体の知覚を研ぎ澄ませる。弛ませるためには「支え」「指の強さ」が無くては、せっかく作った脱力を支えられない。その支えなくして、しなやかでバネのあるタッチへは行き着かない。まるで、柱の作り方で変幻自在に形を変えるタープのようなイメージか。私は始めから「ピアノ用の身体」を持っていなかったので、若い頃から工夫が必要だった。そして今も、自分が知らなかった進化した奏法を知ると、ピアノという楽器の響きの魅力に、底知れない可能性を感じる。

11/13【練習の仕方〜弾き進めない/楽譜の後ろを色濃く味わう練習〜】

立ち止まる最小フレーズ(2小節/4小節)ごとで立ち止まる楽譜を観察気づき(書き込みOKそこから感じるもの、表現するにはどうしたらいい?極ゆっくり、PP、ペダル無し(身体)注意深くそっと弾き、安易に弾き進めない。姿勢///体の内観、コンディション。脱力タッチの引き留め。打鍵離鍵。スピードのコントロール。響き(聴覚)ゆっくりペダルを付けて響きの配合。声部ごとのバランス/cresc. dim.の際の声部グラデーション/響きのふくらみ発音(聴覚)言葉/声楽/管楽器/弦楽器/オーケストラへの変換発音に時間がかかる、発音のタイミング取材(イメージ)曲の背景/イメージ/視覚・味覚・触覚・嗅覚への変換

11/14【ソナタコンクールアドヴァイス会】

今日は通常のレッスンの間に、ソナタコンクールのアドヴァイスレッスン会@Zoomがありました。事前に動画を見させていただいて、オンラインで10分の面接。内容を詰め込み過ぎた?!かな。短い時間でも1対1で話ができるこうした形は、もっと広く浸透していい企画のように思いました。手書きの良さもありますが、顔を見て、ピアノを弾きながら直接伝えられるのは、臨場感があっていいです。

11/16【曲とのコミュニケーション】

◯上手いと思われたい、褒められたい、間違いたくない前方向(自分)◯作品の懐に飛び込む後方向(他者)譜面を前から考えるか、後ろから考えるかで、作品とのコミュニケーションが変わるような気がする。私たち奏者は、どうしても前方向(自分)で譜面を見る傾向が強い。でも後方向(作曲家)の立場から見てみると「何を描きたかったのか」、より真摯に考える。なかなか「自分」から逃れられないのが人間なのだけど、「作品/作曲家」の目線になってみることで、主にピアノの前以外の練習/関心が変わってくると思う。

11/18【クルードラゴン】

宇宙飛行士の野口聡一さんを乗せた「クルードラゴン」が国際宇宙ステーションへドッキング成功のニュース。半年、宇宙で過ごすそう。壮大なロマン。地球が生まれて46億年、そして75億年後には太陽に吸収される。私たちの先祖、ホモ・サピエンスは25万年前に生まれ、28億年すると地球は生物が住めない環境になるそうな。キリストが生まれて約2000年、ピアノが生まれて約300年、私たちが昔と思う単位も、宇宙のスケールからすればほんの一瞬。そんな大きな視点から、時々物事を考えるのも悪くない。

11/22 【既成概念を崩すバッハ】

今日は大宮レッスン小林仁先生インヴェン講座@オンラインへ。桑形亜樹子先生がゲスト講師として、チェンバロ(古楽)からの目線で、インヴェンション12番を読み説いてくださいました。私は桑形先生のインヴェンション装飾音講座へも行っているので、師匠とのコラボはめっちゃ嬉しかったです。講座、そして、そのあとの小林先生とのセッションも短い時間でしたが、興味深かったです。(原典を揺るがすとされる)ツェルニー版への温かな目線が印象的でした。ツェルニーは指導者として、生徒のスキルを考えての校訂が含まれる。つまり、現実的な教材としての使い方を考慮しているところがある。原典を知った上で、これまでどんな校訂が行われてきたかを見ることで、教育の歴史にも触れられるインヴェンション。どこまでも「テーマ」を広げてくれます。桑形先生のバッハ家に居るかのような臨場感あるアナリーゼと考察に、ワクワクしました。The【 既成概念を切り崩す】バッハの手法は、これから時代が変わっていく私たちの生き方へのヒントも与えてくれるように思います。小林先生の名のもと、オンラインで始まったインヴェンション講座が、自分の中でこれほど面白く楽しみになるとは正直思っていませんでした。学生の皆さん、卒業してからの方が、何倍も音楽は面白く感じられるようになりますよ〜。ジャッジから離れた方が、断然自由になれる。「きちんと、しっかり、隙のない演奏」「点数が集まる演奏」に時々は疑問を持ってみる。これって、すごく大事なことだと最近つくづく思うのです。音楽って、発見の宝庫。楽しい!面白い!のアンテナを、シビアな局面でも大事にして欲しい。こういう講座を聞くと、益々感じます。そして、多くの音楽体験に触れ、面白く読めるためのスキルを若い時にたくさん身につけておいて欲しい、とも思います。

11/23 【直す】

「気をつける」「直す」ここに、もう一段階、工夫した練習が必要になる。

11/26【古典と出会っているということ】

世の中が(好むと好まざるとに関わらず)変わってきているのを、感じないわけにいかない。昨年の今頃は…。古典(クラシック)の力。何世紀にも渡り、国を超えて誰かが演奏してきたロングベストセラー。時代の移行期/次世代を支える役割。ここは揺るがずに「在る」。そのエネルギー。若い頃に古典に出会えているのは宝。作曲家たちが何を伝え残そうとしたのか。そのメッセージと空気を感じ、受信/発信できるアンテナを磨いていきたい。

11/27 【表現を立ち上げる観点】

① 声楽的・・・メロディーに歌詞を乗せる。どんな歌詞が付くか、どんな発音か。"cantabile"の表示箇所は特に。②オーケストラ的・・・音域の高低は「楽器の違い」と取れるところ数多し。弦楽合奏で考えるとしっくりくるところも。③1つの声部で書かれていても、複数の役割(声部)を考えてみる。④曲の核となる「テーマ」を、とことん探ってみる。音程/和声/コンセプト⑤痒いところまで行き届くホスピタリティ。

12/1【コンサートへ】

昨夜は久しぶりのコンサートへ。大学/留学時代の先輩、中井恒仁先生・武田美和子先生ご夫妻のリサイタル。生音のコンサートに耳が飢えていたことを再確認しました。ソロ・デユオ共にベートーヴェンの精神を堪能。4月にクルレンティス指揮でベートーヴェンプロを250年記念イヤーに聴くのを心待ちにしていたのにキャンセル。昨夜はこの半年があって聴くベートーヴェンの強さ/優しさが沁みました。武田先生の弾かれた悲愴ソナタも連弾の運命も同じハ短調。2楽章は変イ長調(ちなみにハ短調のソナタ5番も2楽章は変イ長調)。どうしてベートーヴェンはハ短調作品の2楽章を、平行調である変ホ長調で書かず、プラス♭1個増しの変イ長調で書く傾向にあるのだろう。そして中井先生の弾かれたアパッショナータはへ短調。2楽章は平行調の変イ長調でも良さそうなのに、やはりプラス♭1個増しの変ニ長調で書かれている。そして両ソナタのこの2楽章のなんと美しいこと!コンサート最後の中井先生のコメントも良かったです。お忙しい中、どうやって練習を極めていらっしゃるのだろう。充実と尊敬の一晩でした。

12/3 【新しい隙間】

「音楽」は外国語の習得に似ている。ルールや文法や単語を覚えて、いくつもの作品を読んでいくうちに、難しい内容も読めるようになってくる。早い子だと、中学生あたりで「愛」「信仰」「苦悩」といった普段の学生生活では感じにくい込み入った話を、行間に読むセンス/勉強が必要になってくる。20年以上前、学生時代に参加したウィーンのマスタークラスで、スクリャービン7番「白ミサ」ソナタを弾いた若い子がいて、先生「これまで何番をやったことがある?」/生徒「この曲が初めてです」/先生「それではこの曲を理解するのは無理です」・・・結局、レッスンの大半は話で終わった、という光景を見たことがある。この手の話はザラにある。「理解への手順」は本質だし、その意見への同意に変わりはない。生徒の力量にもよる。でも最近「順序立てて勉強しなくては、理解できない」という常識にとらわれない子が出てきているような気がする。感覚や閃きで掴むというか、作品を歴史の流れの中ではなくピンポイントで捉えるというか・・・私の若い時には考えられなかった。こういう感覚を見抜き伸ばしていく力が、こちらに必要になってくるのを感じる。クラシックの学びにも「今までのやり方」に新しい隙間を作ることが、益々求められる時代なのかもしれない。とりあえずは「自分の若い時はこうだった」論が頭の中に出てきたら、ちょっと疑うところから、始めてみようと思います。

12/5【Artの力】

笑顔、喜び、希望、絶望、恐怖、狂気、陶酔、風景etc、作品は何を訴えてきているのだろう。Artの持つ力。私たちは世界的・長期的ベストセラーにいつも触れられる恩恵に預かっている。なぜ多くの国で世代を渡って、人を魅了し続けてきたのか。今読んでいる本からArt」の【ar】には、「つなぐ」という意味合いがあるそうだ。「Arm(腕)」「articulate(発音する/関節を繋ぐ)」といった言葉にも含まれる。作曲家たちは、彼らが生きた時代と私たちとをつなぐ。その世界は混沌とした時代を生きる時ほど、多くの示唆と力をくれる。

12/11【レッスンで直していく】

この前、ある先生と「レッスンで直していく能力」の重要性について話した。レッスンでは、ペダリング・音間違いでさえなかなか直してこれずヤキモキするのに、本番前にギアを上げてステージに乗せてしまえる、というのも才能だとは思う。でも、これだと仕事の現場に出た時に苦労する。「直していける」能力というのは、もの凄く重要になるから。演奏の仕事では、アンサンブルや、新曲・編曲といった作曲家やアレンジャーさんなど、誰かの要求に応えていく現場が圧倒的に多い。その時に、すぐに直せないor直すことに時間がかかる状況だと、短い時間で演奏を組み立てられない。直せない人に周りが待ったり、合わせざるを得ない状況になり、足を引っ張ることになる。この「直していく」スキルは、学生時代の「レッスンの積み重ね」の中で培っていける。毎回のレッスンが「仕事への実力作り」と、どこかで思えるといいのかもしれない。

12/12【音楽と絵画】

フランス近代を勉強している生徒が何人か続いていて資料を漁っていると、絵画との関係が何とも眩しい。ドビュッシーの前奏曲集第2集に入っている「妖精は艶やかな舞姫」へインスピレーションを与えた、アーサー・ラッカムの幻想的で妖艶な絵の世界観を初めて見たときは衝撃だった。蜘蛛の糸の上を、妖精が踊っている。全体の色調、踊り子の後ろにいる蜘蛛、ハンモッグのような巣。蜘蛛の糸1本の存在が、重力を益々感じさせない。ラッカムはイギリスの有名な挿絵作家で、ドビュッシーは前奏曲集の「水の精」や「パックの踊り」など、妖精系の作品にその影響を反映している。ドビュッシーがこの挿絵を見るきっかけになったのは、5歳の娘シュシュの存在。そんな幼い頃からラッカム好きだったとは・・・ドビュッシー作品に数々の霊感を与えた娘の感受性も垣間見る。

12/14【インヴェンション講座】

週末のレッスンdaysの締めは、小林先生のインヴェンション講座13番&14番@Zoom。今回は2曲の演奏を担当しました。今回、インヴェンション(1723年)の元になったフリーデマン・バッハの音楽帖(1720年)を見たところ13番の後半にかなり変更があって面白かったので、聴き比べもしていただきました。耳馴れない音が混じるこの変更部分の弾きにくいこと(笑)。じっくり2曲と向き合いました。先生からお話のあったケルビーニの対位法本もポチってみる。対位法の本を買うのは学生時代ぶりかな。ハイドン、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、ドビュッシー、ラヴェルも触れた作曲の本だそうです。

12/16【作曲家の音】

全て正しい音・リズム、譜面通り弾いていても、その作曲家の曲に聴こえない、ということが起こるから不思議だ。音の雰囲気、スタイル、エネルギーの感じ方など、感覚的な部分で何か違う。そういう時は、自分が知っている世界以上のことが曲から求められている、と考えてみてはどうだろう。ピアノの前以外、弾かないところでの勉強や気づき。それをイメージ、感覚、本能へ繋げ、理解へ近づく部屋を増やしていく。

12/18【シルデ先生】

(大学のレッスン室にて)

恩師 クラウス・シルデ先生の訃報。親と師匠は永遠の命のように感じてしまう存在。94歳の大往生でいらっしゃることをわかっていても、淋しい気持ちが込み上げる。先生と出会ったのは大学3年の時。客員教授として藝大へいらしてすぐに担当いただける機会を得た。そして、ミュンヘンへの留学を決意。自分の転機となった。シルデ先生からいただいた神々しいまでの音楽へのパッションと愛情を、私も生徒たちに伝えていきたい。ご冥福をお祈りします。

12/19【日本クラシック音楽コンクール全国大会】

今日は日本クラシック音楽コンクール全国大会の審査@曳舟文化センター。小学校高学年(5,6年)男子の部を審査してきました。上手いのは当たり前、選曲・表現・テクニック・耳にキラリと光るものがないと入賞できない、という高レヴェルな審査となりました。しかも光るものを持っている人が多くてこういう審査は久しぶりでした。それにしても、私たちの時には考えられなかった選曲が並びます。リストのエチュード、ショパンのバラード、プロコフィエフのソナタ・・・高校生の試験かと見間違うようなレパートリー。それを結構な水準で弾く人が1人や2人ではないのです。この前少し書いた「順序立てて勉強していく」だけでは説明できない、ピンポイントで掴んでしまうニュータイプの才能が出てきているように今日も感じました。またその中で、古典のソナタやスタンダードなレパートリーを、高水準で弾く演奏にも心惹かれました。「なかなかこうは弾けないよなぁ」と感心しきり。まだこれくらいの年齢だと気負いなく演奏できるのでしょうか。多くの参加者が、緊張より、音楽をする喜びの方が、伝わってきました。これから中学生になって勉強も忙しくなり、体が変化していく中、こうした才能が大きく伸びていくことを願って止みません。何より「継続」と「好奇心」。まだまだ先が長いので、いい勉強を続けて欲しいです。

12/20【今峰先生レッスン】

リサイタルで来日中だった今峰由香先生(ミュンヘン音大教授)のレッスンを自宅でしていただく。今回はこの状況下もあり、タイミングのあった数人にしか声をかけられなかった・・・来夏の帰国の折は、教室の企画としてレッスンをお願いできたら、と思っています。

12/21【土星と木星】

397年ぶりに土星と木星が大接近だそう。前回の1623年はバロック時代中期、日本は江戸時代。宇宙は変わらないスピードで、ゆっくり地球を見守っているのだろうか。

12/24【コンサートへ

庄司紗矢香&オラフソン リサイタルへ。親戚から譲り受けたチケット。水曜日はお休みday、ありがたく行かせていただく。感染症対策MAXのサントリーホール。初めて聴く庄司さんのライヴ。作曲家からのメッセージを存分に味わう。少しシルバーがかった音色で、語りと歌の間のような体と楽器が一体になった奥底からの声が鳴り響く。その種類の多さ、「超絶技巧」なんて微塵もない。ただひたすらに歌い、語る。ピアノのオラフソン氏も素晴らしかった。気鋭の若手とのこと。ソロを聴いてみたい。音がめっちゃ好み。室内楽ができるピアニストは聴きどころが違う。終演後、想像以上に自分の耳や心が乾いていたことに気づかされる。音楽、芸術は無くならない。人間が生きる上で必要不可欠な呼吸。思いがけなかったクリスマスギフトに感謝。

12/28  【日本バッハコンクール審査】

今日は、日本バッハコンクール本郷後期地区予選の審査@サン=オートムホールでした。コロナ禍になってから、小林先生と桑形先生のインヴェンション講座へ参加し、改めてバッハと向き合っているなかでの審査。今の子供達の生のバッハ演奏に触れることで、「ピアノで弾くバッハ」「学習するバッハ」を改めて考える時間になりました。この前のクラコンと同じく、小学生の生き生きした演奏が秀逸。曲の内容・テクニックが複雑になってくる中学生以上からは、時間も手間も格段に必要になってきます。ここからが本当に面白くなってくる入り口。コンクールに参加することで、一層バッハが身近になったのでは、と思います。審査では、珍しく私が最年長。指導の世界は層が厚いので、私が最年少のことがまだあるのです。恩田先生、平井先生と和やかな時間を過ごさせていただきました。また、主催の秋山先生はじめ、スタッフの皆様の細やかな換気や除菌で、気遣っていただきました。お世話になり、ありがとうございました。

12/29【勉強会】

昨日は勉強会@松尾ホール。実に10ヶ月ぶりです。検温・除菌・マスク・入場制限etc…できる限りの対策をして開催。いつもきめの細かいケアをしてくださる松尾ホールに大きな信頼がありました。久しぶりに生徒たち演奏をホールでまとめて聴いて、それぞれの課題がクリアになりました。空間が大きくなるほど「耳」の感度の良さが求められます。そこへ集中できるだけの余裕があるかどうかも、ホールの響きから実感したのではと思います。あとレッスン内容を理解し直せるか。この能力が(当たり前ですが)伸びに直結。①理解している直す ②理解している直せない ③理解できていない先生に質問してみる & ①直している(自分)直せている(客観) ②直している(自分)直せていない(客観) ③直していない怠け or うっかり or 別意見 この辺りも自分で意識できるようになると、日々の練習メニューに工夫が出てくるのでは、と思います。来年3月末で閉館になる松尾ホールでの最後の勉強会になり、記念にビデオクラシックスの林さんにお願いして、録画していただきました。本当に何度もリピして重宝していたホールだったので、閉館を聞いた時は泣きそうでした。来年から勉強会どうしたらいいのだろう・・・これだけ環境が整ったホールは滅多になく、大好きなホールでした。閉館前に私も録画したくて3月にもう1回お借りています。

12/30【宇宙へ思いを馳せたコロナ禍】

(オススメYouTube ↑)

今日のホームレッスンで仕事納め。濃い1年。今も増え続ける感染者数を見ると、どこまで何を我慢し進めたらいいのか、わからなくなる時があります。長引くほどに、学習/経済/医療/心身のバランスetc… どう選択したらいいのか、正解のない霧の中を歩んでいるように思う時があります。例えば、今、電車やバスは換気のために窓が数センチ開けられています。朝の通勤時、さすがの寒さ。でも閉められない。体は冷えきり、これで風邪引かないか心配と思うくらい。こういった例が、形を変えて至る所で起こっている。感染症対策が次の火種を作る。でも対策しなければ感染は増え、医療現場のひっ迫は避けられない。この矛盾をどう考え、どう選択し進んでいけばいいのか。とはいえこの渦中で、新たに身につけざるを得なかったことや、考えを整理するきっかけになったのも事実。良かったのか悪かったのか、今はまだ判断つかない。そんな気分になると、よく月や惑星に関する本・ネットを見ていました。138億年前に宇宙が誕生してから、どの星も生まれたら必ず死を迎える。そこで初めて「時間」という概念が生まれた。「時間」は矢の方向へ、戻らない一方通行。それは同時に「変化」なのだということ。「変化」するものが無くなったら、「時間」は無くなる。星々が全て活動を終えて宇宙が終焉を迎えるのは、途方もない遠い先だそうですが(その時には太陽も地球もとっくに無くなっている)、生まれ死ぬものがなくなり、変化がなくなり、時間も消滅するのだそうです。こういう話を読むと、地球に生まれ、宇宙から見たらほんの一瞬の時間に音楽と出会っていることを、とても愛おしく感じるのです。そして「時間」と暮らすことは「変化」すること。演奏も指導も、勇気を持って変化していきたい、と思うのです。今年も1年お世話になりました。どうぞよい年越しをお過ごしください。

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