今日は久しぶりの古楽講座、チェンバリスト桑形亜樹子先生の「バッハ:パルティータ テンポ講座」へ伺って来ました。今回は組曲の成り立ちについて、そして本題のパルティータ第1〜3番までのテンポ設定について。
今回も知らなかった知識に触れ、脳内が刺激されました。Allemande(アルマンド)への認識は変わってしまった…。そして、クラヴィーア練習曲集第1巻として出版された6曲のパルティータの調性→クラヴィーア練習曲集第2巻のイタリア協奏曲 &フランス風序曲の調性の考察は、ちょっと鳥肌ものでした。フランス組曲より作曲年が早いイギリス組曲の成り立ちも、大変興味深かったです。
桑形先生の講座へ初めて伺ったのは、2009年の平均律講座でした。2年かけて23回通いました。このWeb Siteの前身ブログ「メロディーボックス」(2010〜2019)で、その面白さを度々書いていたので、今回まとめてみました。ご興味ありましたら、読んでみてください。
平均律講座Vol.9   2010/03/24 Wed
チェンバリストの桑形亜樹子先生がご自宅でやっていらっしゃるBACHの「平均律講座」へ。全24回の9回目、今のところ皆勤賞。以前から「平均律クラヴィーア曲集1,2巻」48曲をまとめて講座を受けてみたいと思っていたところ、チェンバロを習っている坂先生にこの講座のことを教えていただき、参加するようになりました。桑形先生のチェンバリストとして、そして作曲科出身という視点での解釈が新鮮。博学で回転の速い先生の頭脳に付いていくのに毎回必死、集中力全開の2時間半です。
1回で1巻2巻、同じ調性のものを取り上げ、今日はe-moll(ホ短調)。特に1巻が面白かった。平均律曲集中、唯一の2声フーガを持つ曲。あまり試験などでもチョイスされないし、馴染みが薄い作品のひとつ。2声だから簡単!などと全然あなどれないですね。今日の講座で、たくさんの要素が詰め込まれた凄い曲、ということが良くわかりました。バッハの高度な作曲技法と、完成度、斬新なひらめきには驚くばかりです。
バッハの時代は、調性と旋法がまだ入り組んでいたわけで、その中で24調でこれだけの作品群を書き上げたことは、音楽史的にも画期的だったと思います。後世のピアノのレパートリーの残した作曲家たちの多くは、バッハを礎としてきた。そして旋法→調性の時代になるわけですから、バッハが意図したかはともかく、過去と未来をつないでいるという意味でもこの曲集の果たしている役割の大きさは計り知れないと思います。
桑形先生の講座を受けると、ピアノ側の視点で見るバッハ像とは違った肌感覚があり、時代の匂いや修辞学、楽器学的な観点からも、楽譜を読める力が必要なことを痛感します。特にバロックは、楽譜の書き方が発展途中だからこそ、こちらの知識がないと読みきれないことがたくさんある。楽譜からどれだけ宝を探せるか・・・その着眼のヒントをいただいている講座です。
(追記:で、それから数年のち1巻e-moll、弾いてみました。演奏に納得いかずYouTubeチャンネルにはアップしていない動画ですが、限定公開で載せてみます。)

(セットで弾いたフィッシャーのアリアドネムジカのe-moll。こちらは公開してます。参考までに載せておきます。)

(この日はこちらも弾きました。e-moll聴き比べ→Schostakovich:24 Preludes and Fugues No.4, in E minor Op.87-4
②平均律講座Vol.10   2010/04/29 Thu
10回目になる桑形先生の平均律講座。Cis-durです。1巻2巻共に試験などでよく聴く曲。Des-durで書いていないところがミソ。この時代はシャープ系が優勢だった、という話を聞いたことがあります。Fis-durもGes-durで書いていないですね。これがフラット調で書かれていたら、譜面の印象はだいぶ違うように思います。
2巻が印象的でした。プレリュードはフゲッタが付いた形のもの。他には次回の講座曲予定であるEs-durにこの形のプレリュードがあります。そしてフーガはちょっと可愛らしいコミカルな感じがする曲。このフーガで時々すごく暗譜がおかしくなる人がいて、どうしてかなと思っていた曲なのですが、講座を聞いてなるほど、と思いました。始めに出てくる短いテーマが、反行、縮小、拡大と、形を変えてあの手この手で次から次へと出てくる。これを頭に入れるのは、けっこう大変。短いフーガですが、このパズルのように入り組んだ仕組みを理解して弾かないと、コンパクトで長さ的にも使いやすいけど、本番怖い曲かもしれない。しかもシャープ7コの調から転調されるんだもの・・・
ここからの話は平均律つながりの+α。今「1Q84 Book3」を読んでいます。まとまった時間がなかなかとれなくて、あの分厚い本を電車にまで持ち込んで、少しづつ読んでいます。Book1、Book2、は明らかに平均律曲集が構成のベースになっているのは一目瞭然。24章、交互に女性と男性の章が来る。その後インタビューでも村上さん自身、そのようにおっしゃっていたので確かですBook3が刊行されると聞いたとき、まず思ったのが、「平均律は2巻まで。3巻目はどんな構成で来るだろう??」ということ。ご本人も2巻完結と思って書いていらしたようなので、3巻目を想定していなかっただろうし・・・で、予想したのがBeethovenの32のソナタからで32章。平均律がピアノの世界では「旧約聖書」Beethovenのソナタ集は「新約聖書」と呼ばれていることからしても、32章で来るんじゃないか?と思ったわけです。Book3が届いて、まずは目次でチェック。なんと31章なんです。31??予想より1章短い!!このなぞが、読み終わる頃には解けるのだろうか。ネタばれがイヤで、書評、レビューはまだ読んでいないし、村上さんのインタビューも目にしていないんだけど、どこかでなぞが解けているのかしら。
あっ、こういう楽しみ方は内容を楽しむのと全然違う次元で、あまり意味ないことかもしれないんですが、バッハの修辞学ヨロシク、ちょっとした発見が「へへへ、みつけたぞ?」という快感に繋がるのです。しっかり村上さんのしかけにはまっている気がする。
③平均律講座Vol.11   2010/06/19 Sat
もう2週間以上経ってしまいましたが・・・桑形亜樹子先生による平均律講座、11回目。次回で折り返しですね。かれこれ1年くらい通っていることになるのですが、毎回充実していてあっという間にここまできました。
今回は前回同様、1巻のプレリュードにフゲッタが付くEs-dur。Es-durはよく「三位一体」の調と言われたりしますね。フラット3つが、キリスト教の「父と子と聖霊」。確かにEs-durは、鼻の通りがよくなるような、背筋がスーッとするような、なんとも高貴な響きを感じます。1巻のプレリュード、後続のフーガがなくてもこれだけで1つの作品になってしまいそうな精巧さを持っています。
つくづく私の知識というのは、偏っているなと思う。このプレリュード、あまり馴染みがない。プレリュードとフーガどちらも弾く場合、どちらかが極端に長いと時間制限があるときに使いにくいから、選ぶ時にどうしても1巻のこのプレリュードのようなものは除外されてしまいがち。反対にフーガはよく聴く。短いから(笑)課題で「フーガ」のみ弾く場合もあり、そういう時にこの1巻のフーガは、よく使われます。
2巻のEs-durはよく弾かれるし馴染み深い。プレリュード・フーガどちらもコンパクトで、まず規模として選ばれやすい。私たちはある制度・制限のなかで、できる限りのことをやるしかないのだけれど、バッハの作品を勉強する魅力は、当たり前のことながら「時間制限」の枠では、到底計り知れない。生徒の課題に使いやすいバッハの平均律はコレ!!なんてやっているようでは、バッハの芯の部分に近づけない。私自身、意識して気をつけておかないと、どんどんこうした偏った「枠」の中で流されてしまう気がしました。マズイ・マズイ・・・
今回印象的だったのが、2巻のプレリュードのテンポ設定の時の話。譜面から読み取れる色々なアプローチで、ということで試しに先生が「ジーグ」風に弾いてみてくださった。そういうテンポ設定だと、また違う曲みたいに新鮮でした。和声の変化を感じるためにも、もう少し牧歌的でもいいかな、ということになったのですが、この「ジーグ」風もかなり面白いと思いました。この講座を受けてると、自分の中にある固定概念を疑う必要を感じます。内容が濃すぎて、このブログでは書ききれないことがいっぱい!!
④平均律講座Vol.15 &ソルミゼーション  2010/10/12 Tue
昨日は桑形先生のバッハ塾15回目As-dur。1巻も2巻もピアノではよく弾かれる曲だし、1巻は大学入試で使った曲ということもあって私には馴染み深く面白く伺った。バッハの曲中、As-durの曲はとても珍しい調性だ。
チェンバロ(または古楽全般)の先生方と接していると、知識の量も研究者なみに凄い。この世界は演奏だけでなく文献や当時の資料を研究する部分も大きく、その話を聞いていると「先生、当時そこにお住まいでしたか?」と思う程の方に会うことも珍しくない。桑形先生の講座もまさにそんな感じだ。
桑形先生は今、古楽器情報誌アントレに、「ソルミゼーション」という今のソルフェージュの原型になった古楽ソルフェージュについて連載されていらっしゃるだけどこれが面白い!!このシステムで音符を読んでいくことは相当に覚えたり訓練しなくてはいけない部分があるし、すぐにできるというものでは無いのだけど、今のソルフェージュにない音楽的な意味合いが内包されているように思う。私が感銘を受けたのは、そのシステムで歌うと半音の感覚に敏感になり、延いては前後の音との音程へのアンテナがずっと増すだろうということ。そして途中で読み替えが起こるこのシステムだと、今歌っているところだけでなく次にどんな調(旋法)が来るかを先へ先へ考えなくてはならないため、音楽の見通しをいつも念頭に置く必要に迫られる。
ピアノを弾いていると、音程の感覚は鈍りやすいと思う。声楽はもちろんのこと、管楽器や弦楽器は音程の問題はとても重要なのに、ピアノだと、例えば白鍵do-re(全音)、mi-fa(半音)、どちらも指感覚としては変わらない楽器だ。音程を自分で作る必要がないので、次の音へどのようにつなげるか、フレーズとしてどう歌うか、他の楽器よりフィジカルに感じにくい。その分ピアニストにはソルフェージュの重要性をより感じるし、声楽の勉強は音程を身体で感じる特に大きな訓練になる気がする。
転調の多い今日の音楽では、固定ド絶対音感で歌うソルフェージュの便宜性は現実的なのだと思う。でもこのような古楽ソルフェージュのことを知ると、演奏するために必要な感覚を研ぎ澄ます訓練によりなりうるシステムだったのかな、とも思う。これからの連載の続きも楽しみだ。
⑤平均律講座Vol.21   2011/07/08 Fri
久しぶりの古楽ネタ。桑形先生の平均律塾も残すところあと3回。今のところ1回逃してしまった(3/11震災直後の回)のが悔やまれていますが、2年以上こうやって通い続けたのは、ひとえに桑形先生の洞察力と、演奏家としての鋭い勘に惹かれたからでした。
今回こうして平均律の全体図を見ていっていると、私がかなり偏った平均律知識を持っていることに気づかされました。前にも書きましたが、ピアノ科の選ぶ平均律はまずはじめにサイズありき、なことが多いように思います。あまり長すぎず、フーガも複雑すぎず(笑)試験やコンクールに弾きやすい曲…現実的過ぎる選択!だから、今回のB-durも、1巻はしょっちゅう聴くのですが、2巻は試験などでもほとんど聴いたことない。ところが、この2巻B-durが凄く面白かった。
プレリュードは最長の長さ。リピートも付けたら174小節。2巻になるとリピートの付いている作品がぐっと増えるのですが、それだけ構造も和声も複雑になってきていてソナタ形式に近いものもみられます。このプレリュードにも再現部、と思われる箇所があります。なぜリピートを付けるのか・・・初めてこの作品に触れたら1回じゃわからなかっただろうな、と思います。前半できちんと2回モチーフを聴いてもらい、後半でその展開を知ってもらう。でもその展開も難しいから、もう1回リピート。長くなるには理由があるんだな、と思いました。
私のリピート観もこの平均律の勉強を通して、リピート無しで大丈夫なものと、そうでないものがあることを、よく見ていく必要があると改めて認識しました。現代ではすでに有名になっている曲などで、あえて2回聴いてもらわなくても大丈夫、というものもあるだろうし、小節数を含めた構成としてどうしても必要、というものもある。曲として前半だけリピートして後半無しでも大丈夫そうか、などなど。たかがリピート、されどリピート。奏者の識別が問われる部分だと感じるようになりました。
1巻→2巻には成立に20年の開きがあります。その間のバッハの耳の変化、という話も興味深いです。以前、音楽評論家の方が、ある平均律の演奏会を聴かれた感想で「1巻の響きの方が斬新に聴こえる」という内容を読んだことがあるのですが、これは1巻の方がより旋法に近い響きで書かれているからなのかも、と思ったことがありました。この旋法というのが、私にはまだよくわからない所が多いのですが、旋法の世界を受け継いできたバッハの調性感覚は、また今の私たち現代人の耳とは違っていたんだろうな、と想像しています。
次回の講座は大大大好きなb-moll。特に1巻は涙無しで聴けない。1巻はここからH-durの清涼感、そして最後24番h-mollの、特にフーガのゼクエンツの美しさ!!この連番はいつ聴いてもシビれます。
⑥平均律第1巻テンポ講座   2017.11.25 Sat(一昨年)
22日はチェンバリストの桑形亜樹子先生による平均律1巻のテンポをどう設定していくか、という講座を聴きに下北沢へ行って来ました。2009年頃から2011年まで2年に渡って、先生がご自宅で開催されていた平均律講座へ通っていました。震災直後の講座だけは出られずだったので23曲×2巻分。この体験は私には大きなもので、桑形先生の平均律観を再び味わうことができ、またまた脳が覚醒されるような時間でした。9月18日に先生の平均律1巻全曲のコンサートに伺った際に、テンポ設定に新鮮さが多かったので、記譜法の歴史からも読み解いて行くアプローチは興味深かったです。
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